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「埼浄青会報」第10号平成4年3月31日発行より転載。


無涯山単信院
深廣寺

由緒沿革

 深廣寺は、無涯山単信院と称し、元和元年(1615)深蓮運社廣誉上人無涯閑栄和尚(慶安2年5月4日寂)によって開かれた。
 門を入ると三百年を経た松の大木があり、その下に21基の六角名号塔が建っている。六角名号塔は、二代垂蓮社性誉上人単信圓説大和尚によって建てられたものである。単信上人は念仏一行の実践躬行型の人であったようにしのばれ、日夜遠近を托鉢し、喜された浄財は貧者病者に施し、ひたすら争教化に努めた。一基の高さ約365センチメートル、承応元年(1652)から明暦3年(1657)の問に建てられたもので、材料は伊豆石を以って造られている。
 この塔が建てられるについて、次のような話が伝えられている。
 単信上人が、この二一基の石を伊豆より運ぶ途中、海上俄かに大しけとなり、そのままでは破船沈没を免れることはできない。これは龍神のしからしめるところとし、上人はこの中の一基を海中に投じ龍神の怒りをしずめ、かろうじてこの厄を免れ、無事利根川をさかのぼって栗橋に陸揚げすることができた。このた
め109年後に、七代恵頓上人の志願に始まり九代目にやっと21基目が建てられた。
 この塔が六角名号塔といわれるのは、六字の名号によせたものである。しかし上人はこの時隻眼を患らわれ失明されたということである。後、上人は眼病を病む者には特に心をかけたという。眼を病む者は上人の像を拝し、病気平癒を祈願する者あとを絶たなかったと伝えられている。
 上人は晩年自らの木像を彫刻され、世話人を集め「我が亡きあとはこの自作の像を我と思えよ。滅後の遺物として汝等に与えん」と申されて開眼されたところ、木像が点燈したといわれている。
 この木像は現存し、毎年12月2日に法要が営まれている。
(石垣正順記)

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